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昌平生誕85年を迎え

15年前に亡くなった父との最後の会話は、、
私「親父、この状況だと死んじゃうぜ。転院するか?」
父「人生は、太く、短く。」

酸素マスクを手でずらして、にっこり微笑みながらそう言ったのが耳に残っています。
思えば、肺から、前立腺から、糖尿から、血圧から、多くの病になりながら、
入退院を繰り返していた父は、疲れきってしまっていたのでしょう。

その情景が最近よく夢に出てきます。

さて、父は士を悟ったさなかに私に伝えたかったことは何でしょうか。
幼少期に教わった生き方論や在り方論は躾の一部だったと思っています。
成人してからは、ゆっくりと話をする暇がありませんでした。

これは父が悪いわけでは無く、私が忙しくしていたからです。
今思えば、一度や二度くらいは父とゆっくり話をしておけば良かったと潜在意識の中で思っているのでしょうか。
息子を残してこの世を旅立つ心境はいかに。

時間があるとそんなことを考えてしまうのです。
父が私と同じ年の頃、私は12歳でした。三回り違う戌年生まれです。
当時、私はラグビーを始め、学校でも問題を起こしたり、反抗的な態度で衝突したり。

全力で立ち向かってくれた父の心境はどんなものだったのでしょうか。
そして、丁度その頃から体調を崩しはじめ、数年後には最初の入院でした。
私が大学生の頃は、生死をさまようようなオペもありました。

ハサミ一本で、家庭を支えながら私立大学へ送ってくれて、それでも毎日が衝突だった、
父の思いに徐々に近づいてきているような気がします。

先日、ふと実家に立ち寄りました。
周囲の町並みや店は変わってしまいましたが。我が家だけは40年前と何も変わっていません。
父の名前が屋号になっている「バーバー昌平」

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今も70歳過ぎの母親が一人で店を営んでいます。
「お父さんの残してくれた店だから、しっかり守っていかないと!」だそうです。

亡くなるまでは、毎日が夫婦喧嘩の連続で、子どもの前で離婚話までしていたのに、、
父の傍若無人な生き方に、いつも台所で泣いていたのに、、
父が亡くなったら、まるで父が乗り移ったかの如く強くなった母。

そして、代々の墓ではなく、父専用の墓を用意する際には、
「墓石にはラグビーボールがないとダメ!」と石屋さんに作り直しを数度手配した母。
15462318218161.jpg

足腰が続く以上、床屋を継続するそうです。

2019年2月1日。父・昌平が存命なら85歳の誕生日を迎えます。
そんな日が近づいてきたから、書き留めようと思いました。
ちょっぴりしんみりした内容で済みません。

合掌

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Tag : 父親

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